だいたい怠惰

逆から読んでもダイタイタイダ

【妄想劇場】ラジオパーソナリティーの底抜けの明るさを見習いたい

 最近、といってもここ3〜4年くらいの間にほとんどテレビを見なくなった。別に「テレビなんてオワコン」とか意識高い系ぶっている訳ではなく、ただ単純に生活リズムの中にテレビを見る時間がとれなくなっただけ。

 おそらく子どもが生まれたということが最大の理由だろう。赤ん坊には高性能の物音検知センサーが搭載されているので、やっと寝かしつけたと思っても、ほんの小さな雑音で簡単に目を覚ましてしまう。そうなると、子供が寝ている夜の時間はテレビはつけないし、朝も静かに家を出るのだ。

 こんな生活が私からテレビを見るという習慣を奪った。でも奪われたって困らないのだから、もともとそんなに見てはいなかったのだろう。今では子どももいくらか大きくなり、家族団らんの時間にテレビがついていることはあっても、○○が見たいと自らリモコンを手にすることはほとんどなくなった。

 

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ラジオが私のメインメディアに

 そのかわりにラジオを聞く時間が多くなった。ラジオは「ながらメディア」とはよく言ったもので、車の運転中はもっぱらFMを流している。Podcastもすごく便利で、ニュースなどの時事関連の番組は朝の通勤時間にまとめて聞き流してるし、気に入った番組は空いた時間や作業中などにダラダラと聞いている。

 娯楽としての役割もラジオが十分に果たしてくれているのだ。

ラジオパーソナリティーの明るさを見習いたい

 とても便利なPodcastの話はまたの機会に譲るとして、今日はラジオのパーソナリティーについて書きたい。ここでいうパーソナリティーとは、タレントや芸人さんが自身の番組としてDJをつとめているようなパターンではなく、各局の朝やお昼の時間に帯番組のDJを務めている人たちだ。

 どの局にもそういう番組があって、お昼の番組を元気に進行している人がいるだろう。主に女性パーソナリティーだと思う。そう、あの彼女をイメージいただきたい。

 私は彼女を尊敬する。何を尊敬するかって、あの底抜けの明るさをだ。なんであの人達っていつも元気なんだろう。ラジオの放送中に暗い声をしているのを聞いたことがない。仕事だから当たり前と言ってしまえばそれまでだが、誰だって日々嫌な事のひとつやふたつはあるじゃないか。でもそんなことを微塵も感じさせず、いつも明るく振る舞うあの気丈さを見習いたい。

 私なんかちょっとしたことですぐイライラするし、不機嫌が顔や態度に出るタイプなので、どこからあの元気が出てくるのかを是非ともご教示いただきたい。元々明るく元気だからパーソナリティー がつとまるのか、パーソナリティーをつとめているから明るく元気なのか。

 ただ、そうは言っても彼女も一人の人間だ。落ち込むこともあれば悩むことだってあるだろう。それぞれの人生があり、彼氏がいたり、好きな人がいたりしてもおかしくはない。けれど職業柄不規則になりがちな彼女の生活は、時に想い人との間にすれ違いを生み、些細な誤解からその関係に亀裂が生じることだってあるのかもしれない。

 それでも、どんなに落ち込んでいたとしても、番組ではいつものように明るく元気な姿でリスナーにその声を届けなければいけない。今月のパワープレイを流している間、いつもの曲の歌詞がなんだか違って聞こえ、DJブースで一人涙を浮かべる彼女を見たとき、私はなんて声をかけるべきなんだろうか。

 収録を終えた彼女は、いつものように挨拶を交わしながら足早にスタジオを去ろうとする。さっきまでとは打って変わって表情の冴えない彼女に私は言う。

 

「今日の収録よかったよ。この後食事でもどう?」

 

 

 行きつけの居酒屋でたわいもない会話に花を咲かせながらも、どこか彼女は虚ろげだ。

 

 

「元気ないね。どうしたの?」

 

 

と尋ねると、いつもの元気な声で「何でもないよ !」って。彼女の悪い癖だ。

 

 お腹もそこそこふくれ、少し酔いも回ってきたので店を変える。静かなバーカウンターで横並びに腰をおろして会話を重ねる。間を埋めるるように、彼女は一方的に早口でしゃべり続ける。私に心配をさせないようにと気丈に振る舞うその口調は、いつもの放送そのものだった。

 

 不意に訪れた沈黙。グラスの氷の溶ける音がだけが静かに鳴り響く。その静寂に耐えきれずに、再び口火を切ろうとした彼女を遮り、

 

「リスナーからのリクエスト。今ぐらい無理しなくていいよ。」

 

って言いたい。

 

今日はそれだけ。